1945年8月6日に広島、8月9日長崎に原子爆弾が投下されました。
日本人にとっては忘れられない、そして忘れてはいけない出来ごとです。
その原子爆弾をアインシュタインが開発したと思っている人が大勢います。
開発者とまでいわなくても、アインシュタインの相対性理論のせいで原子爆弾が作られたとか、自らの理論を証明するために原子爆弾の開発を進めたというなど、原爆開発の責任をアインシュタインに求める意見はよく見ます。
実際のところどうなのでしょうか? とりあえず、わかっている事実だけを挙げて、自分の考えを示したいと思います。
アインシュタインの相対性理論と原子爆弾の関係
まず、原子爆弾の開発とアイシュタインの相対性理論との関係から説明していきましょう。
原子爆弾開発の流れ
原子爆弾(ヒロシマ型原爆)は、ウランの核分裂を利用したものです。
核分裂は、原子核が分裂して2つ以上の原子核に変化する現象で、1938年にドイツの科学者 ”オットー・ハーン” と ”フリッツ・シュトラスマン” が発見しました。
その後、大量のウランを使うと、核分裂反応が連鎖的(連続的)に起きる可能性が見出されました。
連鎖的というのは、ひとつのウラン原子が核分裂すると、それを引き金に次々と核分裂反応が誘発され、一気に大量の核分裂反応が起こるという現象です。
それを使ったのが原子爆弾です。
そして、1941年にアメリカで原爆を開発するマンハッタン計画が始まり、1945年の広島、長崎の悲劇につながります。
※長崎に投下された原爆は、ウランではなくプルトニウムを使ったものでした。
核分裂と相対性理論との関係
アインシュタインの相対性理論からエネルギーEと質量mの等価性を表すE=mc2という式が導かれます。
この式が、原子爆弾の根源のように扱われているのです。
アインシュタインが特殊相対性理論から、E=mc2の関係を導いて発表したのは、1907年です。
しかし、この式は、エネルギー全般に関する公式であり、特に原子核に関する公式ではありません。
≫≫核エネルギーはE=mc2によるものではない? 原子力エネルギーに関する誤解
何しろ、核分裂が発見される30年も前のことですから、核分裂に関する理論でないことは明確ですし、この式から核分裂反応が予想できるものでもありません。
核分裂は、もしアインシュタインがいなくても、とっくにE=mc2程度は発見されていたで時代に見つかったのです。
もちろん無関係という訳でもありません。
ウランの連鎖的な核分裂を利用した爆弾ができたとき「この爆弾は、どれほどのエネルギーになるか」という計算にE=mc2が使われたはずです。
相対性理論と原爆の関係はこれだけです。相対性理論から原爆が導かれるものではありません。
※『核エネルギーはE=mc2によるものではない? 原子力エネルギーに関する誤解』』でも書きましたが、E=mc2を使わなくてもエネルギーの計算は可能です。
アインシュタインと原子爆弾のかかわり
次にアインシュタインと原子爆弾のかかわりについてみてみましょう。
マンハッタン計画とアインシュタイン
アインシュタインは、原爆を開発するマンハッタン計画には携わっていません。
「アインシュタインたちによるマンハッタン計画によって開発された」という間違った報道(コレとか)がされたりしてますが、アインシュタインは計画に加わっていません。
しかし、原爆開発と無関係ではありません。
アインシュタインは、1939年に当時の科学者たちがルーズベルト大統領に送った手紙に署名をしています。
アインシュタイン=シラードの手紙
その手紙を書いたのはレオ・シラード、署名したのはアインシュタインなので『アインシュタイン=シラードの手紙』とも呼ばれています。
大統領にアピールするためには、著名なアインシュタインの名前が必要だと考えてのことです。
その内容は、
- ウランを使ったきわめて強力な爆弾が作られるかもしれないこと
- ドイツが国家単位で開発を進めていること
- ウラン鉱石の供給に関心を寄せること
などを知らせるものです。
※原文:http://www.dannen.com/ae-fdr.html
※内容にも誤解があるようですが、原文を見れば何を知らせたのか一目瞭然です。
その時は原子爆弾の開発は行われませんでした。
原子爆弾の開発をするマンハッタン計画が始まったのは、イギリスから原子爆弾製造の可能性が高いという情報が入った1941年のことです。
ドイツの状況
アメリカにいる科学者たちが、大統領に手紙を出したのは何故でしょうか?
理由は手紙自体に書いてあります。
ドイツがウランの販売を停止したことから、ドイツが国家単位で原子爆弾の開発を進めていると判断したからです。
実際に、1939年からドイツは原子爆弾の開発を進めており、その判断は間違っていませんでした。
ルーズベルト大統領への手紙を先導した ”レオ・シラード” はハンガリー産まれの亡命ユダヤ人物理学者です。
≫≫シラードのエンジンとは? 情報をエネルギーに変えることができるのか
アインシュタインもユダヤ系です。
だからこそ、ナチスドイツが原子爆弾の開発を進めていることを大統領に知らせる手紙にサインをしたのです。
その証拠に、1945年の3月にドイツが原爆の開発に成功していないことがわかると、シラードたち科学者たちは、日本に対する原爆使用に反対する活動を行っています。
アインシュタインは原爆開発を知っていたのか
アインシュタイン自体、マンハッタン計画が進んでいることを知っていたのでしょうか?
マンハッタン計画は、完全に秘密裡に進められていました。
アインシュタインは、反戦思想の持主としてアメリカ政府からマークされていたので、マンハッタン計画がスタートしたことすら知らされていませんでした。
マンハッタン計画に参加したどころか、そんな計画が進んでいることすら知らなかったのです。
アインシュタインは原子爆弾の生みの親か?
アインシュタインがいなければ、もしかしたら広島や長崎の悲劇はなかったかもしれません。
でも、アインシュタインは非難されるほどの関与をしていたのでしょうか。
アインシュタインが残したもの
アインシュタインと原子爆弾を関連づけるものは、次のふたつです。
- 彼が発見したE=mc2が、原爆のエネルギーの計算に使われたこと
- 1939年にルーズベルト大統領に出した手紙に書名したこと
アインシュタインの思想
アインシュタインは、徹底した反戦主義者でした。
そのこともあって、1896年、17歳のとき、軍拡を進めるドイツの国籍を自分の意思で放棄して無国籍になっています(6年後にスイス国籍を取得)。
今でこそ反戦主義はふつうのことかもしれませんが、第一次世界大戦前のヨーロッパです。
そんな時代に、のちにアメリカで反戦思想の持主としてマークされるほどの徹底した反戦思想を持っていたのです。
亡くなる直前の1955年には、アインシュタイン=ラッセル宣言という平和宣言を発表しています。
アインシュタインの人生の中で、反戦思想が揺らいだのは第二次世界大戦開始前後の期間だけです。
その時、何が起きていたのか言うまでもありません。
反戦よりも反ナチスの想いが上回ったとしても仕方ないのではないでしょうか?
個人的な意見
ここからは個人的な意見です。
自分は、広島出身の50代の人間です。
親の世代は、実際に原爆を体験しています。
親は離れた場所にいたので被ばく者ではありませんでしたが、祖父母は被ばく者ですし、父親の兄弟には原爆の犠牲になって亡くなった人もいます。
近所のおじさん、おばさん、学校の先生など、まわりの大人は原爆を体験した人ばかりという環境で育ちました。
そんな自分でも、アインシュタインを責める気にはなりません。
手紙に署名したことは確かです。
しかし、あの時期にナチスドイツが原子爆弾の開発を行っていることを知って、ユダヤ人であるアインシュタインが、署名に参加するのは当然のように思えます。
そんな環境にいるにもかかわらず「原爆開発に積極的に参加しなかった」それだけで充分です。
自分にとって、原爆に対する憤りをぶつける相手は、アインシュタインではありません。
アインシュタインが原子爆弾の開発者だという誤解
この記事は、いまだに残っている「アインシュタインが原子爆弾の開発者」という誤解を解きたいと思って書きました。
もちろん、アインシュタインと原子爆弾は無関係ではありませんが、その責任は事実に基づいて判断すべきだということを言いたかったのです。
そのため、周辺事実だけの説明とし、アインシュタイン自身が語った言葉には全く触れてませんでした。
でも最後にひとつだけアインシュタインの言葉を引用します。
「第3次世界大戦の戦い方はどうなるのか私にはわかりません。でも、第4次世界大戦ならわかります。石とこん棒での戦いに戻ります」