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ルートヴィッヒ・ボルツマン 早すぎた天才科学者の生涯

天才

ボルツマンという物理学者を知っていますか?

「ボルツマン定数」「ボルツマン方程式」「ボルツマン分布」などに名を残した偉大な科学者です。

「この時代に、なぜこんなことを考えつくことができるんだ?」

と思えるほどの先見性を持った天才でした。

今回は、そのボルツマンについて語ってみます。

目次

ボルツマンの原理

ルートヴィッヒ・ボルツマン” は、1800年代後半に活躍したオーストリアの科学者です。

ウィーンにあるボルツマンの墓石には「S=k. log W」という、現在「ボルツマンの原理」「ボルツマンの関係式」といわれる数式が書かれています。

これこそが、ボルツマンの先見性を表す、統計力学という分野を切り開いた大きな業績です。

先見性

物理学に大きな業績を残した科学者は数多くいます。

有名な物理学者と言えば、相対性理論を作り上げた ”アルベルト・アインシュタイン” の名前が浮かぶかもしれません。

もしアインシュタインがいなければ、相対性理論の発見は数年遅れていたでしょう。

当時、相対性理論が完成する下地はすでにありました。

ですから、そのうち誰か(ローレンツ?)が見つけていたはずです。

ボルツマンの原理は違います。

もしボルツマンがいなければ、統計力学は数十年遅れていたのではないでしょうか?

なぜ、あの時代にこんなことを思いつくんだ

というほどの発想の飛躍があったからです。

ボルツマンの関係式

ここでボルツマンの関係式「S=k. log W」について、簡単に説明してみます。

Sはエントロピーと呼ばれるもので、物体の熱的な性質を表す特性のひとつです。

kは「ボルツマン定数」で、Wは「状態数」と呼ばれています。

ここでは、状態数に焦点を当ててみます。

「20℃、1気圧、1リットルの水」と言えば、物質の状態を特定できます。

しかし、同じ「20℃、1気圧、1リットルの水」と言っても、細かく見れば分子ひとつひとつの位置や運動量は変わっているはずです。

その水の分子が採れる位置や運動量の組み合わせが何通りあるのか、それを「状態数」と呼びます。

疑問が浮かびませんか?

分子の位置や運動量なんて無数にあるはずではないか?

エントロピー

エントロピーというのは、熱力学という分野で重要な意味を持つもので「エントロピーは増大する」という特徴を持っています。
ボルツマンの原理が発表されたのは、熱力学でエントロピーという概念が完成しつつある段階でした。
ボルツマンは、まだ完成されていないエントロピーの重要性を見抜き、それを分子の立場から説明しようとしたのです。

ラプラスの悪魔との関係

前の記事『ラプラスの悪魔 人間に自由意志はあるのか』で、ニュートン力学に従うのであれば、粒子(分子)の位置や運動量を表すのに無限の情報が必要だという話をしました。

これは、分子の位置や運動量を配置する組み合わせは無数にあることを意味します。

でも、ボルツマンは「組み合わせの数は無数ではなく有限で、その個数がエントロピーという量と関係している」と主張したのです。

量子力学との関係

ラプラスの悪魔 人間に自由意志はあるのか』で、量子力学によって、「その情報量が有限」と判明したと説明しました。

でも、ボルツマンの時代には、まだ量子力学は影も形もなかったのです。

分子の配置数が有限だという発想はどこからでてきたのか不思議になります。

ボルツマンの時代背景

物理

もっと言えば、ボルツマンの時代は、原子や分子の存在すら証明されていませんでした。

配置数どころか、分子の数すら認められた概念ではなかったのです。

存在するのかどうかわからない原子や分子を「存在する」として、その位置や運動量が「有限である」とした式なのです。

このボルツマンの仮定を熱狂的に受け入れた人もいましたが、一方でとことん反対した人もいます。

特に、存在するかどうかもわからない原子や分子を元に理論を組み立てることに激しい攻撃を受けました。

ボルツマンは、その論争に疲れ果て、次第に心を病んでいきます。

エネルギーの原子化

分子の位置や運動量が有限というのは、飛び飛びの値を持つということです。

デジタル化と言い換えてもいいでしょう。

そうなると、位置エネルギーや運動エネルギーもデジタル化されるので、エネルギーも飛び飛びの値を持つことになります。

もちろん、このことも攻撃の対象となります。

1891年の学会で、ボルツマンは「エネルギー自体が原子的に分割されていないなどという理由がどこにあるのだ」と言い放ったそうです(参照文献)。

量子力学では、エネルギーがデジタル化されるのですが、ボルツマンはすでに量子力学的なイメージを持っていたのかもしれません。

アインシュタインの登場

アインシュタインは1905年に相対性理論を発表しましたが、同じ年に他にも重要な論文を発表しています。

ひとつは、光電効果という現象に関する論文で量子力学の引き金になったものです(この論文の中で「ボルツマンの原理」という言葉が初めて使われています)。

光のエネルギーを飛び飛びだとするもので、アインシュタインはこの論文でノーベル賞を受賞しています。

もうひとつはブラウン運動に関する論文で、原子や分子の存在を示すものです。

その論文に従って実験を行い分子の存在を証明した ”ジャン・べラン” は、その功績でノーベル賞を受賞しています。

このノーベル賞級の発見によって、「原子の存在」と「エネルギーの原子化」というボルツマンの主張を裏付けるものがやっと世に現れたのです。

≫≫ブラウン運動とは何なのか? アインシュタインは何を解決したのか?

※ちなみに、ボルツマンの原理「S=k. log W」は、現在も物理の基本原理のひとつです(解釈には変遷がありますが)。

ボルツマンの死

これで、ボルツマンが報われたとなればいいのですが、現実は皮肉です。

ボルツマンが、アインシュタインの論文を知っていたのかどうかわからないのです。

論文が発表された1905年には知らなかったようですし、1906年には精神状態が悪化して療養に入っていますので、知らなかった可能性が高そうです。

そして、1906年療養先で家族が目を離した間に自殺してしまいます。

もし、ボルツマンがもう少し長く生きていれば、と思うと残念で仕方ありません。


天才

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