ブラウン運動とは、微細な粒子が液中で不規則に動くというもので、分子が存在する証拠として中学の理科の授業でも習うものです。
実はブラウン運動が発見されてから、分子によるものと認められるまで約80年もかかっています。
一見当たり前のように思えることが認められるまで、何故これほどの時間が必要だったのでしょうか。
そこには、大きな壁があったのです。
ブラウン運動とは
ブラウン運動とはどんなものでしょうか?
まずはブラウン運動の発見の歴史からみてみましょう。
ブラウン運動の発見
ブラウン運動は、1827年に ”ロバート・ブラウン” が、見つけました。
水中で花粉が破裂してできた微細粒子を顕微鏡で観察するという実験をしたときに、不規則に動くことを発見したのです。
そして他の微細な粒子でも同様の現象が起こることを実験で確認しました。
その当時、分子の存在は確認されていませんでしたが、物質は原子からできているという考えは(1805年ドルトンの原子論)生まれていました。
ブラウン運動は分子の衝突によるもの?
発見当初から、ブラウン運動は分子の衝突によって起きると考えていた人もいました。
しかし、それだけではブラウン運動が原子、分子によるものとは認められません。
私たちが中学の理科で習うのは、おおよそ次のような内容です。
- 微細な粒子の液体中での挙動を顕微鏡で見ると不規則に動く
- これは液体の分子が粒子に衝突することが原因としか考えられない
- 分子の存在が証明された
イメージも湧きやすく、簡単に納得してしまいそうです。
でも、それだけで科学的に認められるというものではありません。
「分子が存在するとすれば微粒子はこのように動く」という理論値と、実験値が一致して、初めて「ブラウン運動は分子によるものだ」という主張ができるのです。
ブラウン運動の誤解
ブラウン運動の正体を次のようにイメージしている人はいませんか?
- 小さな粒子に分子がひとつ衝突する
- 反動で粒子が動く
- また他の方向から分子が衝突する
- 違う方向に粒子が動く
このイメージは間違いです。
何しろ分子の数は膨大です。
粒子から1ミクロン以内だけでも何万個という分子があります
その水分子は1秒間に平均4~500メートルという高速で運動しているのです。
ですから、一瞬の間におびただしい数の水分子が粒子に衝突します。
分子がひとつ衝突して、その反動で動いて、などという悠長な話ではないのです。
分子の運動
1870年代に ”ルートヴィッヒ・ボルツマン” らが統計力学という分野を切り開きます。
物質の特性を原子や分子の運動として捉えるもので、やっとブラウン運動に適用できる分子運動論が現れました。
だからといって、ブラウン運動を粒子の衝突として計算することは簡単ではありません。
単純な計算
ちょっと単純な計算をしてみました。
実は、統計力学からブラウン粒子の運動エネルギーが計算できます。
運動エネルギーがわかれば、粒子の速さがわかります。
直径1マイクロメートル、比重が1の粒子が室温の水中で動くとして、速さを計算すると、平均で1秒間に約4ミリメートルの速度という結果になりました。
※計算が間違っているかもしれませんが、オーダーはこの位で間違いありません。
ちなみにブラウン運動で観察された粒子の速さは、1分間に10マイクロメートル程度です。
計算値は1秒間に4ミリメートル、1分間に240ミリメートル
実測値は1分間に10マイクロメートル、0.01ミリメートル
全くあっていません。
計算と実測があわない理由
なぜ実験値と計算値が合わないのでしょうか。
前に説明した「分子の数は非常に多く、一瞬の間におびただしい数の水分子が粒子に衝突する」ことが原因なのです。
粒子は、分子が衝突する度に動く方向が変わります。
一瞬の間に何度も方向を変えます。
平均すると1秒間に4ミリメートルの速さかもしれませんが、目まぐるしく方向を変えているので、その動きを直接見ることができないのです。
ブラウンが実験で見たものは、この運動とは全く別のものなのです。
ブラウン運動は起こらない?
統計力学というのは、分子の運動を統計的に扱うものです。
ですからブラウン運動も分子の衝突を統計的に扱わなければいけません。
しかし、あらゆる方向から沢山の分子が衝突する現象を平均すると、「粒子は動かない」とう結論になってしまいます。
あらゆる方向から同じように力がかかるのですから、結局は動かないのです。
ごく僅かにその場で振動(方向変換)しているので、運動エネルギーを持っていますが、それは観察できません。
ちなみに、大きな粒子でブラウン運動が観察できないのは、まさにこれが理由です。
ブラウン運動のもうひとつの問題
ブラウン運動にはもうひとつ大きな問題があります。
前述した内容をもう一度引用します。
「分子が存在するとすれば微粒子はこのように動く」という理論値と、実験値が一致して、初めて「ブラウン運動は分子によるものだ」という主張ができるのです。
ブラウン運動は、不規則です。
実験するたびに動き方が変わるランダムな運動です。
そんなランダムな現象について「こういう風に動く」という理論値を示さなければいけないのです。
ブラウン運動が分子の衝突によるものだと主張するのがどれほど難しいことかわかって頂けたでしょうか?
アインシュタインの登場

ここで登場するのが ”アルベルト・アインシュタイン” です。
アインシュタインは、奇跡の年と呼ばれる1905年に「熱の分子論から要求される静止液体中の懸濁粒子の運動について」というタイトルの論文を提出しました。
これがブラウン運動の問題を解決したのです(アインシュタインはブラウン運動が観察されていることを知らなかったようです。
アインシュタインの理論
アインシュタインは、分子の動きはランダムでありながら、わずかに揺らぎが発生することを示しました。
平均すると、あらゆる方向から同じ力がかかるのですが、ごく短い時間なら右側から衝突する分子が少し多いとか、とんでもなく速く動いている分子が衝突して動くということがあり得るのです。
分子が衝突する回数が少ないもの(小さいもの)ほど、このような揺らぎの効果があらわれて、ブラウン運動を起こすのです。
アインシュタインの理論式
では、アインシュタインは、どんな形で理論式を表したのでしょうか。
ブラウン運動は、ランダムなので実験のたびに動き方が変わるので、それを予測することはできません。
でも、沢山の実験を行って、その結果を統計的にみたときの傾向がどうなるのかという理論値を計算したのです。
ただ、多くの実験結果から粒子が何分後にどの位置にいるかという平均をとると、ゼロ、つまり元の位置になります。右に移動する場合もあれば左に移動する場合もあるため位置を平均すると打ち消しあうためです。
そうではなく、元の位置(平均)からどれだけずれるかという、偏差値のようなものを理論から計算したのです。
時間が経つにつれて、平均からのずれ(偏差)がどんどん大きくなっていく、アインシュタインの関係式と呼ばれる式を導いたのです。
ベランの実験
フランスの物理学者 ”ジャン・ペラン” が、ブラウン運動の精密な実験を行い、アインシュタインの式が成り立っていることを証明しました。
精密な実験を数多く行って、統計的にアインシュタインの式に従うことを示したのです。
これにより、分子、原子の存在が広く認められるようになりました。
それまでは、分子を扱う統計力学の理論化は進んでいたものの、実際に存在するかどうかわからない分子を仮定することに批判も多かったのです。
※統計力学の創始者 ”ルートヴィッヒ・ボルツマン” はそれが元で自殺してしまいました。
ペランは、この功績によって、1926年にノーベル物理学賞を受賞します。
ブラウン運動理論の業績
アインシュタインがこの論文を提出したのは1905年です。
アインシュタインは、それ以前にも論文を発表していますが、全て統計力学に関するもので、この時期の主な研究テーマでした。
分子の存在を確認することを目的として、微少な粒子の動きを観察するという方法を提案したのです。
論文には「この理論が実験で確かめられれば分子の存在が確認され、逆に否定的な実験結果が得られれば分子論が否定される」という分子の存在の議論に決着をつけるものだと記されています。
1905年は、相対性理論の論文、光量子仮説の論文(これでノーベル賞を受賞)も発表した「奇跡の年」と呼ばれています。
有名な相対性理論や量子力学の元となった光量子仮説に比べると、ブラウン運動は地味な印象を受けます。
でもブラウン運動理論も、その後の物理を変えた大きな業績なのです。
「分子の存在を決定づけたこと」もちろんこれは大偉業です。
しかし、ブラウン運動の理論は、それだけに留まるものではありません。
アインシュタイン自身も意識していなかったかもしれませんが、ランダムな現象に伴う「揺らぎ」という、それまで知られていなかった新しい分野を切り開いくものだったのです。
揺らぎは、音響や電子の雑音、その他の非平衡の物理、幅広い分野に現れるもので、現在でも研究が盛んな分野です。
そういえば、空が青いのも「揺らぎ」が関係していたのでした。
≫≫空が青くて夕焼けは赤い 空が色づく本当の理由は奥深いものだった
最近では、経済学にも使われているようです。
誰もが知っているブラウン運動は、その先駆けだったのです。
*参考文献:アインシュタインとブラウン運動の理論(pdf)
