「進化論は熱力学第二法則に反している」
そう主張する人たちがいます。
「熱力学第二法則は、秩序だった状態から無秩序な状態に一方的に変化することを示している。生物が進化によってより精巧で秩序だった状態になるのはこの法則に反する」
という主張です。
これは明らかに間違いです。
何が間違いで、何故そんな間違いが発生するのか説明してみます。
進化論と熱力学第二法則の関係に対する立場
まず、私の立場をはっきりさせておきます。
結論は
「進化論と熱力学は無関係である」
です。
もう少し詳しくいうと、
「進化論が正しいか間違っているかはわからないが、少なくとも熱力学第二法則には反するものではない。もし進化論が間違いなら、熱力学以外の方法で否定されるものである」
まあ、珍しくもないごく普通の立場です。当然です。実際にそうなんですから。
エントロピーを乱雑さや無秩序さと説明することの弊害
エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)を「乱雑になる方向に変化する」とか「秩序が壊れる方向に変化する」と説明することの弊害を(エントロピー増大の法則は、乱雑になる方向に変化するというものではない)という記事で書きました。
熱力学第二法則は進化論を否定するという意見は、まさにこの弊害によるものです。
以前の記事の繰り返しになりますが、エントロピー増大の法則を「秩序が壊れる方向に変化する」と説明されると、イメージが湧きやすく理解した気になりがちだという弊害があります。
イメージで理解した気になると、そのイメージに捉われてしまいます。
エントロピーが増大の法則が成立するには、条件があります。
「閉鎖系では」とか「孤立系では」という条件です。
エントロピー増大の法則は、外部から孤立している場合に成り立つ法則です。外部と熱や物質のやりとりを行う「開放系」ではエントロピーが増大の法則が成り立たないことは充分あり得るのです(閉鎖系、開放系について注釈を最後に記します)。
エントロピー増大の法則を「秩序が壊れる方向に変化する」というイメージだけで捉えていると、このことが理解しにくくなっていまいます。
よくある例を示します。
水を氷点下の環境に置くと、氷になります。
水の分子が自由に動き回る無秩序な水の状態から、分子が規則正しく整列した秩序ある氷に変化します。エントロピーが小さくなるのです。
散らかった部屋が、誰も片づけていないのにきちんと整理整頓された状態になったようなものです。こういう現象はごく当たり前にあるのです。
エントロピー増大の法則を
「整理された部屋は放っておくとどんどん乱雑になる。乱雑になった部屋は誰かが片付けない限り自然に整理されることはない」
というイメージで捉えていると、このことを誤解してしまいます。
何故水が凍るのか?
水が氷になるときには凝固熱発生し、その熱が周囲に逃げていきます。外部に熱を放出するということは開放系なので、エントロピーが小さくなってもいいのです。
熱を通さない完全な断熱材で囲んだ状態(閉鎖系)の水を、氷点下の環境においても氷にはなりません。これが熱力学第二法則です。
ちなみに、宇宙全体は閉鎖系です(外部がないのですから)。なので、宇宙全体のエントロピーは必ず増大します。
開放系では、外部と熱や物質のやりとりを行うので、外部環境も変化します。そのため、宇宙全体のエントロピーを考えるには、外部環境のエントロピーの変化も考慮に入れなくてはなりません。
部分的にエントロピーが小さくなっても、他の部分でそれ以上のエントロピー増加があれば宇宙全体のエントロピーは増加し、エントロピー増大の法則にはなんら反するものではありません。
水が氷になる場合は、凝固熱を受け取った周囲のエントロピーが大きくなり、全体としてエントロピー増大の法則が成り立っているのです。
話しが逸れますが、ついでなので氷の凝固点(融点)について説明しておきます。
水が氷になるとエントロピーが小さくなること
凝固熱を与えられた周囲のエントロピーが大きくなること
このふたつの兼ね合いで、水の凝固点が決まります。
このときの周囲のように、熱を受け取るとエントロピーが増加します。そして温度が低いほど熱を受け取ったときのエントロピーの増加が大きくなります。
0℃以上では、水が氷になるときのエントロピーの減少が、周囲のエントロピー増加よりも大きいので水が凍ることはありません。
しかし0℃以下では周囲のエントロピー増加の方が大きくなり、水が凍ります。
全宇宙のエントロピーが大きくなる方向に変化するのです。
氷と生物を一緒にするなという意見
氷の例に対して「氷のような単純なものと生物のように複雑なものを一緒にするな」という反論が多くあるようです。
「生物は精巧な秩序に従った複雑なものだ。氷のように単純な規則に従っているものとは全く違う」
といった趣旨の反論です。
どうやら、氷よりも生物の方が秩序正しくエントロピーがはるかに小さいと考えているようです。
これも、エントロピー増大の法則を「秩序が壊れる方向に変化する」と表現する場合の弊害です。
「乱雑」とか「無秩序」というのはイメージが湧きやすいので、ついそのイメージで考えてしまうのです。
「乱雑かどうか」「秩序だっているかどうか」を、人それぞれの解釈で議論したら、話が噛み合わなくて当然です。
もし、エントロピー増大の法則を「無秩序な方に変化する」と解釈して議論するなら、「秩序」は熱力学(統計力学)での定義に従わなければなりません。
定義を無視して「私はこっちの方が秩序正しいと思う」として議論を進めるのは明らかに間違いです。
「氷を生物を一緒にするな!」
という主張を読むと、自分の解釈で「秩序」を語っているものが多いのです。
ひとりの人間と、その人と同じ重さの氷の塊を比べて、
「どちらが秩序正しいか?」
と訊かれても「秩序」が定義されていなければ答えられません。
「どちらがエントロピーが小さいか?」
と訊かれると、「圧倒的に氷のエントロピーの方が小さい」と即答できます。
もし、秩序を「エントロピーが小さいほど秩序正しいとする」と定義するのであれば、氷の方が秩序正しいのです。
「それはおかしい」
というのであれば、
「エントロピー増大の法則を無秩序な状態に変化すると表現するのことがおかしい」
のです。
自分の思った秩序正しさに沿って、エントロピー増大の法則を曲げて解釈するのは、あきらかに誤りです。
「氷のような単純なものと生物のように複雑なものを一緒にするな」
という主張には賛成します。
しかし、それは熱力学とは全く関係のない問題なのです。
意思の存在
以前の記事(iPhoneが自然に出来上がることはあるのか? 自然にの二つの意味)で、
「iPhoneを製造するときに使われる出発原料(各種鉱物など)を全て集め、放っておいたら自然にiPhoneになるという現象が起きるか?」
という問いを発しました。
そのなかで「放っておいたら自然に」に二つの意味があることを説明しました。
「外から何の影響も受けずにiPhoneが出来あがることはない」
「iPhoneを作ろうという意思がなく、偶然に任せておくだけでiPhoneができる上がることはあり得ない」
のふたつです。
どちらも、起こりえない現象です。
しかし、熱力学第二法則で禁止されているのは「外から何の影響も受けずにiPhoneが出来あがることはない」の方です。
外からの影響がある場合(解放系)に「偶然に任せておくだけでiPhoneができる上がることはあり得ない」のは、起こりえないほど確率が小さいというだけで、熱力学第二法則には反してはいないのです。
言い換えれば、熱力学第二法則の範疇では「起こってもいい」のです。
生物も同じです。
生物のようなものが偶然だけで生まれる可能性は低いのは確かですが、熱力学的には「起こってもいい」のです。
「そんな可能性が低いことが実際に起こり得るのか?」
というのは、熱力学から離れたところの問題です。
熱力学は物理理論である
これも(iPhoneが自然に出来上がることはあるのか? 自然にの二つの意味)で話したことですが、熱力学は物理理論です。
物理理論に反することは(その理論が正しければ)絶対におきません。人間がどう頑張っても熱力学第二法則に反することはできなのです。
生物の創造はどうでしょうか?
人間の技術が進歩し、そのうち生物(または生物なみに精巧な仕組みを持ったもの)を創りだすことはあり得ないでしょうか。
おそらく、可能でしょう。
もし、人間ができるのであれば、物理理論に反していないということです。
「それは、人間に創ろうという意思があるからだ。生物も創ろうという意思が働いたから誕生したのだ。これは生命を創ろうという意思を持った存在がいた証拠だ」
進化論に反対する創造論者は、こう言うのではないでしょうか。
おそらく、創造論を支持する人の主張は、これに尽きると思ってます。
非常に難しい問題です。
私には、肯定も否定もできません。
しかし、これだけは言えます。
「意思の存在は、熱力学とはなんら関係ない問題である」
熱力学は進化論を否定も肯定もしません。進化論を否定するために、熱力学を持ち出すのは間違いです。
情報に関して
進化論を否定する立場のサイトで、氷と生物の違いを「情報」で説明しているのを、よく目にしました。そのようなサイトでは、生物の持つ情報量の多さを強調しています。
確かに「情報」は生物を考える上での重要なファクターです。
しかし、それをエントロピー増大の法則と絡めて話してはいけません。
「情報量が多いのだから、それだけ秩序だっていてエントロピーが小さい」
というような主張は無理があり過ぎます。
実は、情報と熱力学第二法則は関連するのです。
そのうち記事にしようと思っていますが、情報理論でもエントロピーという言葉が使われています。
情報量を表す式が統計力学のエントロピーを表す式に似ていることから、洒落でつけた名前です。
しかし、その後の研究で単なる洒落ではないことがわかってきました。統計力学のエントロピーと情報理論のエントロピーは、互いに関連している、もっというと「同じもの」だったのです。
「情報量」の大きさを表す「情報のエントロピー」は、熱力学のエントロピーと同じものだということです。
長くなるので、詳細は別記事で説明しますが、情報のエントロピーと熱力学のエントロピーが同じものだということは
「情報量が多いほどエントロピーが大きい」
のです。
「生物は情報量が多いから秩序正しく、エントロピーが小さい」
という主張とは正反対です。
ちなみに、ここでいう情報量は情報の質は全く問いません。量だけです。
情報を記憶するために必要なメモリ量がエントロピーだといった方がわかりやすいでしょう。記憶する情報の質は全く関係なく、消費メモリ量だけの問題です。
情報は圧縮して記録することができます。大きく圧縮できて容量を小さくできるほどエントロピーが小さいのです。
0と1がn個配列している場合
「000000……」
「111111……」
が一番エントロピーが小さくなります。「0をn個並べる」と記録するだけです。
「010101……」
も「0と1を順番に並べる」で済みます。
一番エントロピーが大きいのは、0と1がランダムに並んでいる場合です。この場合は全く圧縮できません。
「0と1がランダムに並んだ情報にどんな意味があるんだ?」
と思うかもしれませんが、もともと意味なんて関係ありません。
百科事典をデジタル化して0,1で表したとします。それと同じ数の0,1の列の情報があるとしましょう。
エントロピーでいうと、完全にランダムな数列は百科事典のデジタルデータよりエントロピーが大きく、0ばかりの列は百科事典よりエントロピーが小さいのです。
意味のないランダムデータと、意味のない0だけの列の間に百科事典があるのです。百科事典と全くおなじエントロピーを持った意味のない数列もあります。
単なる情報量(エントロピー)でいうと、百科事典の意味なんて関係ないのです。
生物が持っている情報には、もちろん意味があります。百科事典に近いでしょう。議論すべきは、その部分、情報の意味、質です。情報の量ではないのです。
生物の持つ「情報」の複雑さは進化論を考える上で重要であることは間違いありません。
しかし、その生物が持つ情報を「進化論はエントロピー増大の法則に反する」という文脈に使うのは大きな間違いです。
エントロピーは、情報の質や複雑さとは何の関係もない量だということが明らかになっているのですから。
*注:閉鎖系、解放系という系の状態を表す言葉は、本によって定義が違ったりするので注意して下さい。「俺が読んだ教科書では、エントロピー増大の法則が成り立つのは断熱系だと書いていたぞ」という人もいるでしょう。エントロピーが減少するのは、熱を放出する場合と物質を放出する場合の二通りだけです。熱力学の教科書では、普通は物質の移動がない場合から始めるので、その場合は「断熱系」で問題ありません。ここでは、物質の移動もない場合だということを表現するため「閉鎖系」という言葉を使いました。
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