前の記事(熱力学第二法則が進化論を否定するって本当?)で、生物の持つ情報とエントロピーの関係について述べましたが、読み返してみると「生物は、情報量が多いのでエントロピーが大きい」と主張しているように受け取れられそうな気がします。
そんなことはありません。生物はそれなりにエントロピーが小さいものです。
言葉足らずの部分を補足して、真意を伝えたいと思います。
情報量が多いからエントロピーが小さいという主張について
(熱力学第二法則が進化論を否定するって本当?)での説明を抜き出してみます。
(情報熱力学によれば)「情報量が多いほどエントロピーが大きい」
のです。
「生物は情報量が多いから秩序正しく、エントロピーが小さい」
という主張とは正反対です。
これは、熱力学第二法則を用いて進化論を不定する人たちが、その根拠として「生物は情報量が多いから秩序正しく、エントロピーが小さい」と表現していることに対する反論です。
間違っているのは「生物は情報量が多いからエントロピーが小さい」という主張であって、「生物はエントロピーが小さい」ということを否定している訳ではないのです。
特定のタンパク質ができる確率は低いが
ちょっと具体例を挙げて説明してみます。
タンパク質は、多くのアミノ酸が連なってできています。20種類のアミノ酸が、どんな順番でつながるのかによって、様々なタンパク質が構成されます。
アミノ酸が1000個つながったタンパク質を考えてみましょう。20種類のアミノ酸が1000個つながる組み合わせは、201000です。普通の数字で書き下ろすと、このサイトの一記事文を超える位の膨大な数です。
その中で特定のタンパク質になる確率は201000分の1、極めて小さい確率です。
このことを持って「生物はエントロピーが小さい」と主張しているのを見かけますが、この主張は成り立ちません。
20種類のアミノ酸を、偶然に任せて適当に1000個つなげてタンパク質を作ったとします。そのタンパク質も201000分の1の確率でしかできないものです。
適当にやっても、201000分の1の確率のうちのどれかが実現するのです。
確率の低さだけで、説明できるものではないのです。
アミノ酸の配列によるエントロピー
出来上がったタンパク質のエントロピーはどうなるのでしょう。ここでは、アミノ酸の配列のエントロピーだけを考えます(それ以外に熱力学的なエントロピーが圧倒的に大きくありますが)。
これも(熱力学第二法則が進化論を否定するって本当?)で説明したことですが、単純なほど、また情報が圧縮できるできるほどエントロピーは小さくなります。
一番エントロピーが小さいのは、同じアミノ酸だけが1000個つながったものです。「このアミノ酸が1000個」だけで記述でき、情報を圧縮できます。
一番エントロピーが大きいのは、20種類のアミノ酸がランダムにつながったものです。アミノ酸のつながる順番をそのまま記述するしかできません。全く圧縮できないのです。
実際のタンパク質は、完全にランダムではありません。ある程度の偏りがあります。その偏りを利用して、ある程度圧縮できます。
実際のタンパク質のエントロピーは、同じアミノ酸だけがつながったものと、完全にランダムなものの中間なのです。
ですから、ひとつのタンパク質の情報量だけを考えて、生物が作るものはエントロピーが小さいということはできないのです。
生物が作りだすもののエントロピーが小さい理由
生物が作りだすタンパク質の特徴は、そんなところにあるのではありません。
「設計図通りのタンパク質を作ること」
「同じタンパク質を沢山作ること」
にあります。
「設計図通りのタンパク質を作ること」
設計図があるということは、それだけの情報をが記憶されていることになります。設計図自体にエントロピーがあるのです。
しかし、それだけです。設計図通りのタンパク質は「設計図通り」の一言で表すことができます。組み合わせの情報量(エントロピー)は設計図の方が担って、タンパク質側のエントロピーは非常に小さい(同じアミノ酸を1000個と同じ)のです。
それだけでは、ありません。二個目のタンパク質も、三個目のタンパク質も同じく「設計図通り」です。タンパク質など数個あるだけでは何の意味もありません。非常に多くのタンパク質が必要です。
「設計図通りのタンパク質が1億個」
どうですか?
「同じアミノ酸を1000個」のエントロピーが小さいと言いましたが、そんなもの比べ物になりません。
もし、生物がエントロピーの小さい状態を作り出すことを示すのであれば、こちらを強調するべきなのです。
色々なアミノ酸が混ざっている状態から、設計図通りのタンパク質を沢山作りだす、これが生物が、エントロピーの小さい状態を作り出している根源です。
単にアミノ酸からタンパク質を作るだけなら、生物でなくてもできるのです。
一応補足しておきますが、生物がエントロピーの小さい状態を作っているといっても、熱力学第二法則に反する訳ではありません。
生物の情報量を熱力学量に換算してみる
生物の持つ情報量の多さを主張することは、熱力学的に意味がないことはこれまでに示した通りです。
でも、設計図通りのタンパク質は、設計図とは違う適当なタンパク質よりもエントロピーが小さいことは確かです。
タンパク質の議論で示した201000というのは、私たちの感覚からいうと大きな数字です。でも人間の遺伝子情報は、これよりも桁違いに大きなものになります。
遺伝子は4種類の塩基の配列で情報を記録しています。人間の場合、塩基対が約30億個ですから、4の30億乗です。指数の方の部分(201000でいう1000の部分)が30億です。とんでもない数字です。遺伝子も全く同じ遺伝子を複製するのですから、タンパク質と同じことです。
この数の多さから、生物がとてつもなくエントロピーを低下させているかのように思い、やはり熱力学第二法則を破っているような気がするかもしれません。
実際に「生命は熱力学第二法則を破っている」という人たちは、そう主張しています。
実際はどの程度なのでしょうか?
ちゃんと定量的に示すことができます。定量的に表すことができるのなら、イメージだけで語らず、せめてその計算くらいは行うべきでしょう。
ちなみに、人間の遺伝子情報の4の30億乗の情報量は、60億ビットです。8ビットが1バイトですから、ざっくり8億バイトといったところでしょうか。10億バイトが1ギガバイトなので、1ギガバイトにも満たないものです。
ちょっと拍子抜けしたのではないでしょうか。現在の私たちの感覚からすれば、1ギガバイトなんて大した情報量ではありません。ハードディスクどころか、最近のパソコンのメモリ容量よりも少ないのです。
これを熱力学のエントロピーに換算してみましょう。ビットは低を2とした対数表示ですが、対数の低を変換してボルツマン係数(1.38×10-23J/K)を掛ければ計算できます。人間の遺伝子情報の熱力学エントロピーは10-14J/K程度です。
これではイメージがわきませんね。熱量で表してみましょう。熱が移動するとエントロピーが変化します。遺伝子情報のエントロピーがどの程度の熱量変化に相当するか計算してみます。簡単です。エントロピーを温度(絶対温度)で割るだけです。
とりあえず、人間の体温37℃(310K)で割ってみると、3×10-17J、約7×10-18calといったところでしょうか。
1gの水の温度を1℃上げるのに必要な熱量が1calです。7×10-18calって……。温度変化を測定することすらできないレベルです。
「いや、人には数十兆の細胞がある。それが全て同じなんだぞ」
なんて言っても仕方ありません。ランダムでバラバラの塩基配列の遺伝子数十兆に比べ、同じ遺伝子数十兆の方がエントロピーが小さいのは確かです。
数十兆、数百兆なら、7×10-18calに1015とか1016を掛けてみればいいだけです。その結果が10-3だろうが10-2だろうが関係ありません。ちゃんと計算するのも面倒です。たった一滴の水の温度を、測定できないくらい上げる熱量には変わりありません。
人間は、毎日2000kcal(2×106cal)のエネルギーを摂取して、最終的に熱にして発散しています。環境のエントロピーをそのレベルで大きくしている存在です。
その人間の内部で、一日で周囲に発散する熱の一億分の一程度に相当する分のエントロピーの減少があろうがなかろうが、環境も合わせた全体のエントロピーが大きくなっていることには変わりはありません。単なる誤差範囲のエントロピー減少です。
遺伝子の情報量は一見非常に大きく感じます。しかし、その大きさは熱力学レベルからすると無視できるほど小さいのです。
このことからも、生物の情報量を熱力学と結びつけて考えてはいけないことが分かります。
生物は神秘的です。
私も、こんな単純な議論で捉えられるものではないと思っています。
しかし、熱力学的には間違った議論ではありません。
となると、答えは一つです。
「生命の神秘を熱力学で説明することは筋違い」
結局、結論は何も変わりません。
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