【目からうろこの熱力学】その4
いよいよ、熱力学第二法則の説明です。これが熱力学の最重要ポイントで、第二法則さえわかれば、熱力学を理解したも当然です。
熱力学第二法則は難しいというイメージがあるようです。でも、そんなことありません。
それを示すために、今回は熱力学第二法則の表現で最も理解しやすい「クラウジウスの定理」を説明します。
「目からうろこの熱力学」前の記事:熱力学第一法則の基本。内部エネルギーと熱
熱力学第二法則の表現その1「クラウジウスの定理」
クラウジウスの定理の簡単な説明
熱力学第二法則には、表現方法がいくつか(沢山)あります。まずは、その中でクラウジウスの定理と呼ばれるものを紹介します。
クラウジウスの定理を簡単に言うと
「熱は温度の高い方から低い方に伝わるが、温度の低い方から高い方に自然に伝わることはない」
というものです。熱は温度の高い方から低い方に流れる? そりゃそうだろうって感じです。
お湯の入ったやかんを放っておくと、周囲の空気に熱が伝わりお湯が冷めていく。逆にやかんに水を入れて放っておいて、周囲の空気から熱を奪って自然にお湯が湧くなんてことはない。これが、クラウジウスの定理です。
拍子抜けしたのではないでしょうか。
クラウジウスの定理は熱力学第二法則の表現方法のひとつです。ですから、これが熱力学第二法則そのものです。
簡単ですよね?
「熱力学第二法則って熱移動だけに関する法則なの?」
そう思われるかもしれません。そんなことは、ありません。
クラウジウスの定理をよく考えていくと、熱移動に限らない広い法則だということがわかります。
自然にとはどういう意味か?
「熱は温度の高い方から低い方に伝わるが、温度の低い方から高い方に自然に伝わることはない」
この説明で気になるのは「自然に伝わる」の意味です。このままでは曖昧なのでもう少し明確にしなければならないでしょう。
実は、ここが熱力学第二法則のミソです。ですから、少し詳しく説明してみましょう。
熱力学での「自然に」の意味は、下記の記事でも説明しています。具体例がある分、分かりやすいかもしれません。
(iPhoneが自然に出来上がることはあるのか? 自然にの二つの意味)
やかんに注目
「お湯の入ったやかんを放っておくと、周囲の空気に熱が伝わりお湯が冷めていく」という例で説明してみましょう。
注目するのは「やかん」です。
温度が下がるのはお湯で、温度が上がるのは空気。「やかん」なんて本質とは何の関係ないような気がします。実際、熱力学の教科書にも「やかん」の説明などありません。
でも、クラウジウスの定理を明確にするためにはやかんの考察が必要です。
やかんの役割は何でしょう?
お湯が冷めるとき、まずお湯からやかんに熱が伝わります。
その後、やかんから空気に熱が伝わります。
言ってみれば、やかんは熱を伝える仲介役なのです。
熱移動では、多くの場合仲介役がいます。しかし、クラウジウスの定理の中には、仲介役のことは、何ひとつ書かれていません。
定理に仲介役のことが書かれていないのは、定理の成立に仲介役は関係ないということを示しています。
言い換えれば、どんな仲介役を使おうが定理は必ず成り立つということです。
やかんの材質や形状、色などを変えても、(冷める速度は変わっても)お湯が冷めることには変わりありません。
材質や形状だけには限りません。何しろどんな仲介役を使おうが成り立つのです。
どんなに工夫を凝らしたやかんでも、どんなハイテクを使ったやかんでも、自然にお湯が沸くことはなく、お湯が冷めて行くことに変わりはないのです。
お湯を沸かす装置
とは言いながら、お湯を沸かすことはできます。私たちが毎日のように行っていることです。やかんに電気ヒーターでも内蔵すれば、お湯が沸くやかんの完成です。
でも、これは「自然にお湯が沸く」とは呼べません。お湯を沸かすためには電力を供給しないといけないからです。電気でななく、ガスを使った場合も、炭火を使った場合も、自然に沸いたとは呼べないでしょう。
でも、お湯が冷めるのは自然に起こります。お湯を沸かす場合とお湯が冷める場合と何が違うのでしょうか?
「お湯が冷めるのは周囲の空気に熱が移動するからで、お湯が沸くのは周囲の空気とは関係ないから」
いえいえ、温度の低い方から高い方に熱を移動させる装置もちゃんとあります。エアコンです。エアコン内蔵やかんを作れば、周囲の空気から熱を奪って、その熱でお湯を沸かすやかんができます。
しかし、これも電力を供給しなければなりません。
自然にとは、外部から何もしないこと
何となく「自然に」の意味が見えてきました。
お湯を沸かす方法に共通するのは、外部から電気を供給しなければいけないということです。電気だけではないですね。ガスを供給するとか、光を当てるとか(やかんにエアコンと太陽電池を内蔵すれば光でも)、動力を供給するとか、何かしないといけないのです。
外部から何かを供給しなければならない場合は「自然に」とは呼ばないということです。
ということで、やかんが(熱移動以外に)外部とは何のやりとりもしない状態で起きることを「自然に起きる」と呼ぶと考えれば良さそうです。
お湯は冷めるのは(熱移動以外は)外から何もしなくても起きるから自然。
お湯を沸かすためには(熱移動以外に)外部から何かを与えないといけないから自然ではない
これで、明確に区別できそうな気がしてきました。
それだけでは不十分
しかし「外部とは何のやりとりもしない状態で起きることを自然に起きるという」では不十分な場合があります。
やかんにエアコンとバッテリーを内蔵させたとしましょう。すると、バッテリーの電力でエアコンを動かすことができます。このとき、外部と何もやり取りしていません。
でも、やっぱりこれも、自然に起きたと呼ぶには抵抗があります。
この場合、自然にと呼べないのは何故でしょうか?
「バッテリー内蔵やかんがお湯を沸かせるのは、バッテリーが切れるまでの間だけだから」
ですね。バッテリーが切れてしまえば、外部から充電するか、バッテリーを交換するかしないといけません。
ということで、「自然に起きる」とは「外部と何もやり取りしない状態で、いつまでも起きること」だということに決定です。
正確なクラウジウスの定理へ
クラウジウスの定理の正式な表現
ここで、クラウジウスの定理の正式な表現を紹介しましょう。教科書によって表現の違いはありますが、意味することは同じです。
低温熱源から高温熱源に熱を移すとき、他に何の変化もおこさないようにすることはできない。
「熱は温度の高い方から低い方に伝わるが、温度の低い方から高い方に自然に伝わることはない」という簡単な説明とは、色々違う個所がありますね。
まず熱源という言葉。「温度の高い方」「温度の低い方」ではなく「高温熱源」「低温熱源」という言葉が使われています。これは、その方がかっこいいというだけではなく、ちゃんと意味があります。これについては後述します。
それと「他に何の変化もおこさないようにすることはできない」という言葉。おそらく「自然におこることはない」に相当するものだとは想像がつきます。
しかし、ここまで「自然に起こる」の意味を散々考えて「外部と何もやり取りしない状態で、いつまでも起きること」としたのに、それとも違う表現になっています。
もう少し考えてみる必要がありそうです。
熱源の導入
「外部と何もやり取りしない状態で、いつまでも続く」ということをもう少し考えていきたいのですが、そろそろやかんの例えでは無理が出てきました。
バッテリーの容量が大きくなれば、それだけ長く加熱できます。バッテリーでなく、原子力発電所内蔵やかんだって考えることができます。そうなると、やかんの例では、加熱が止まる前に、お湯が蒸発してなくなってしまいます。イメージが湧きません。
ということで、お湯の変わりに熱源というものを導入します。いくら加熱しても蒸発して無くなったりしないものです。
それだけではありません。蒸発どころか温度も変わらないものを熱源と呼びます。熱を与えようが、熱を奪おうが、温度変化がないものを熱源と呼ぶのです。
「熱を与えても温度が変化しないなんてあり得ない?」
その通りです。でも想像することはできます。やかんの水に熱を加えて沸騰したとしましょう。それと同じだけの熱量をプール一杯の水に加えたらどうでしょう。プールの水は沸騰するどころか温度変化も少ないでしょう。
太平洋一杯の水なら温度変化など測定できないレベルになります。まだまだ行けます。想像するだけですからなんでもありです。
「太陽系をすべて満たす水」ここまで来ると、少々の熱なら温度変化がないと言ってもいいでしょう。
こうやって量を増やしていった極限が熱源だと考えればいいのです。ちょっと科学的に言えば熱容量が無限大のものです。
「熱移動がいつまでも続く」かどうかを議論するのですから、熱源の方も「熱移動をいつまでも続けることができる」ものにしておこう、それだけのことです。
お湯のかわりに熱源を使うと、やかんという比喩も相応しくありませんね。熱移動装置とでも呼ぶことにしましょう。
熱源を使った表現
熱源を使って、下の図のように表してみます。
熱移動装置は、高温熱源、低温熱源との間で熱の授受を行うだけで、それ以外は外部とは何のやり取りもないものとします。
ここで、上側の赤い矢印が高温熱源から低温熱源への熱移動、下側の青い矢印が低温熱源から高温熱源への熱移動を表します。
赤い矢印の方向へはいくらでも熱移動ができます。それに反して青い矢印方向への熱移動は起こったとしてもいつかは停止します。これがクラウジウスの定理です。
熱移動装置の中は、どんなものでもOKです。複雑なハイテクを駆使した装置を使っていてもクラウジウスの定理は成り立ちます。
変化を使った表現
次に考えないといけないのは「いつまでも続く」ことと「いつかは停止すること」をどうやって判別するかということです。
停止するまで待つ訳にはいきません。一年間続いたから、いつまでも続くなどと言えませんから。
上手く判別する方法を考えてみましょう。
まず、熱移動装置の内部を調べます。そして熱移動を起こさせます。その後もう一度熱移動装置の内部を調べたとしましょう。
このとき、熱移動装置の内部が最初と全く同じだった場合、熱移動はいくらでも続きます。何しろ最初と同じなのですから、同じことを繰り返すだけです。何度繰り返しても元通りです。絶対に永遠に続きます。
このとき、装置の内部が常に一定である必要はありません。
熱移動の過程で色々変化をしていたとしても、どこかで最初と同じ状態に戻ればいいのです。
一旦最初と同じ状態に戻るのなら、そのサイクルを何度でも繰り返せます。
逆に、どんなことをしても元通りになることがなく、どこかに変化があるとしたら、その熱移動はいずれ止まります。変化しつくしたら終わりです。
ということで、「元通りにすることができる」=「いつまでも続く」、「どうやっても元通りにできない」=「いつかは止まる」と区別できます。
やっとクラウジウスの定理に辿り付きました。長い道のりでした。
クラウジウスの定理に書かれていないこと
クラウジウスの定理は、不必要な文言をできるだけ省いたシンプルな表現になっています。
低温熱源から高温熱源に熱を移すとき、他に何の変化もおこさないようにすることはできない。
そのため、ここまで考えてきたこと内容から省かれているものがあります。
高温熱源から低温熱源への熱移動
低温熱源から高温熱源に熱を移す場合のことしか書かれておらず、逆の熱移動のことは省略されています。これは、大事なのは「何ができないのか」ということだからです。禁止されていないものは(やろうと思えば)できるのです。
熱力学第一法則はエネルギー保存則でした(熱力学第一法則の基本。内部エネルギーと熱)。この法則は、エネルギー保存則に反することはできないことを示しています。
実はそれだけではなく「エネルギー保存則を満たしていてもできないことがある」ことを示すのが熱力学第二法則なのです。
熱移動装置と外部と何のやりとりもなくという言葉
クラウジウスの定理には熱移動装置も出てこなければ、外部と何のやりとりもなくという言葉もでてきません。
これは、理論的には熱移動装置とその外部に分ける必要がないからです。
熱移動装置の中にバッテリーが内蔵されていれば、装置内で変化が起きます。
バッテリーを取り外して外部のバッテリーから電源を供給すると、装置内には何の変化も起きませんが、外部から電源を供給されていることになります。
この二つは全く同じことで、バッテリーを内部とみなすか外部とみなすかという見方を変えただけのことです。
ですから、装置が外部と何かやりとりをしているのなら、外部で変化が起きているということです。
それなら、最初から熱移動装置なんて考えなくて良かったと思われるかもしれません。ここで熱移動装置を使って説明した理由は二つあります。
ひとつはイメージです。熱移動装置をイメージした方が理解しやすいのです。それは、今回の記事だけの話ではありません。これから、更に詳しく熱力学を説明する予定ですが、その時にも、このイメージが役に立ちます。
もう一つは、変化を探す範囲を明確にしたいという考えです。他に何の変化もおこさないようにすることはできないと言っても、他に変化がおこったのかどうかどの範囲を調べればいいのかわかりません。
もし、外部とは何のやりとりもないという境界があれば、その中だけを調べて変化がなければ「他に何の変化も起きていない」と言えるのです(外部で何か変化があっても、それは熱移動とは関係ない)。
太陽電池内蔵やかんに太陽光が当たってお湯が湧くことを考えてみましょう。
このとき、どこで変化が起きているのでしょうか?
太陽の内部です。
太陽電池を知らない人がみたら、そんな変化を考えもせず「何も変化がない」と判断するかもしれません。
でも、この場合は外部から太陽光を浴びています。外部とは何のやりとりもない状態ではありません。そのことは太陽電池を知らない人でもわかります。
ですから太陽電池を知らない人でも「この場合は太陽光を外部から浴びているので、何も変化が見つからなくても自然に起きたは言いきれない」ことはわかるのです。
太陽電池ではなく、現在知られていない未知の現象が使われていたとしたらどうでしょう。おそらく私たちは、どこで変化が起きているか特定できません。どこかに変化がないか、しらみつぶしに調べる訳にもいきません。太陽光どころかもっと遠い星からの宇宙線が伝わっているのかもしれないからです。宇宙中を調べることなど無理です。
それに宇宙中、調べてみてどこにも変化がないなんてことはありません。
熱移動とは全く関係ない変化なら、至る所で起きているはずです。原理がわからないのですから、その変化が熱移動に関係しているのか、関係ないのか見分けることもできません。
ですから、ある現象が自然に起きるかどうかを確認するためには、きちんと障壁を設けて外部と完全に遮断された状態を作りだして、その中で実験をします。これが現実的です。
確かに理論的には熱移動装置など想定する必要はありませんが、外部と何のやり取りもない熱移動装置で考える方が現実的なのです。
熱力学第二法則の意味
できないことは、できない
「熱は温度の低い方から高い方に自然に伝わることはない」
この記事の最初に書いたことで、クラウジウスの定理の説明としてよく使われます。これだけ聞くと誤解する恐れがあります。「自然に伝わることはできくても、人工的にならできる」という誤解です。
クラウジウスの定理は、人工的だろうとなんだろうとできないものはできないということを示したものです。熱移動装置なるものを使って説明したのもそれを明確に示すためです。
人間がどんな工夫をしても、どんな複雑な熱移動装置を作っても、低温熱源から高温熱源に熱を移す熱移動装置は作れないのです。
一見、低温熱源から高温熱源に熱を移動する熱移動装置と思えるものは作れます。エアコンがそれです。クラウジウスの定理でできないとされている熱移動装置と、エアコンは何が違うのか、ここを明確にしておかないと、後々困ることになります。
それで、ここまで長々と説明したのです。
普通の教科書では、クラウジウスの定理は簡単に流されます。ほんの数行の記述で終わりです。ですから、なんとなくわかったような、わからないような、という状態のまま次に進み若がわからなくなってしまうのです。
って、私がそうだっただけかもしれませんが。
熱力学第二法則は単に熱移動の法則ではない
もう一つ付け加えます。クラウジウスの定理は、単なる熱移動の方向を示すだけの定理ではありません。
熱とは関係ないように思えるものでも、
「もしこういうことが起きれば、それを使って低温熱源から高温熱源に熱を移動する熱移動装置が作れる」
のなら、その現象が起きないのです。
これがクラウジウスの定理の本当の意味です。
「こういう現象が起きるのかどうか」という考えるときに「その現象を使って熱移動装置が作れるのか」ということが判定基準になるということです。
「この化学反応が起これば、それを使って熱移動装置が作れる」のなら、その化学反応は起きません。
化学反応に限りません。電磁気現象だろうが、核反応であろうが、量子的な現象であろうが、ブラックホールを使おうが、この判定基準でできないものはどんなことをしてもできないのです。
熱力学第二法則に多くの表現がある意味
最初に熱力学第二法則にはクラウジウスの定理以外にも色々な表現方法がありことを説明しました。なぜ、色々な表現方法があるのでしょうか。
それは、熱力学第二法則は、その現象が起こるかどうかの判定基準を示すものだからです。
色々な表現方法があるということは、色々な判定基準があるということです。
どの判定基準を使おうが判定結果は同じです。判定結果が同じであることさえ保障されていれば、時と場合によって使いやすい基準を使えばいいのです。
ちなみにクラウジウスの定理は、判定基準として汎用的ではありません。「この現象を使って熱移動装置が作れるかどうか」なんて考えて判定するのは大変です。
ただ、直接熱が関与する現象には適用しやすいことと、意味が分かりやすいことが長所です。
何しろ「熱は温度の高い方から低い方に移動する」という私たちの常識と直感に適合することを厳密に表現したものです。この納得のし易さが最大の長所でしょう。
での、ここに留まっていては先に進めません。
もう少し汎用的な熱力学第二法則の表現に進んでみましょう。
自然にの意味が納得できない場合は、以下の記事を参照して下さい。
(iPhoneが自然に出来上がることはあるのか? 自然にの二つの意味)
熱力学入門
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