物質はエネルギーを持っています。
そして温度が高いほどエネルギーが大きくなります。
そのため、絶対零度では物質のエネルギーがゼロだという記述をよく見かけます。
文脈によっては間違いではありませんが、適用範囲を超えてしまうと、つじつまが合わなくなってしまいます。
絶対零度でエネルギーゼロという意味を確認しておきましょう。
内部エネルギーというもの
物質のエネルギーのことを「内部エネルギー」と呼びます。
物質自体が動いている運動エネルギーではなく、止まっていても内部にあるエネルギーだからです。
内部エネルギーを扱う熱力学では(他の多くのエネルギーの理論も)、内部エネルギーの値自体は出てきません。
出てくるのはエネルギーの差だけです。
高度で考えてみる
山を登るとき、出発地点が標高200メートルで到着地点が標高700メートルなら、500メートル登ったということになります。
出発地点と到着地点の差500メートルがエネルギーの差に相当します。
エネルギーの変化だけが必要ということは、何メートル登ったのかが重要で標高自体はあまり意味がないということです。
標高とは
標高は、平均海水面を0メートルとして高さを表したものです。
なぜ平均海水面を基準にしたのでしょう。
必然性はありません。
「平均海水面を0メートルと決めるとわかりやすい」からそうしただけです。
基準を海水面から変えれば、標高200メートルとか700メートルという数値は変わりますが、その差が500mであることは変わりません。
エネルギーも同じことです。
エネルギーの基準点
エネルギーも標高と同じで、どこをエネルギーゼロにするのかは、人為的に決めることができます。
「わかりやすいように」「使いやすいように」エネルギーゼロになる基準を決めればいいのです。
絶対零度で内部エネルギーがゼロとは
絶対零度で内部エネルギーがゼロというのは、そうすると使いやすいから決めただけのことに過ぎません。
物体に熱(エネルギー)を与えていくと、物体のエネルギーが大きくなり(通常は)温度が上がります。
逆にどんどん冷やしていけばエネルギーが小さくなり、絶対零度で最低です。
絶対零度で最低値になるのなら、それをゼロすれば、エネルギーはプラスの値だけになります。
「プラスだけの方が取り扱いやすい」
そういう訳で絶対零度でのエネルギーをゼロとすることが多いのです。
絶対零度でエネルギーゼロにできない場合
絶対零度のとき、その物質のエネルギーが最低になることはわかりました。
- 水素のエネルギーは絶対零度で最低になります。
- 酸素のエネルギーは絶対零度で最低になります。
- 水のエネルギーは絶対零度で最低になります。
でも、水素の最低のエネルギーと水の最低のエネルギーが同じだとは限りません。というより違って当然です。
それを同じゼロとしても大丈夫なのでしょうか。
水素だけ、水だけという単一物質を取り扱う場合は何の問題ありません。
だからこそ、絶対零度でゼロという基準が使われているのです。
でも、そうはいかない場合があります。
化学反応を扱う場合
それは化学反応を取り扱う場合です。
酸素と水素から水ができる反応を考えてみましょう。
反応自体は、常温、常圧で行ったとします。
酸素と水素が反応して水になるとき、エネルギーが低下するので、その分のエネルギーが(通常は)熱として放出されます。
反応熱というやつです。
- 水のエネルギー ー 水素のエネルギー ー 酸素のエネルギー = 反応のエネルギー変化
となるのです。
このときの水素のエネルギー、酸素のエネルギー、水のエネルギーは何を基準に表せばいいのでしょうか。
絶対零度でゼロという基準は使えません。
絶対零度でエネルギーが最低だとしても、水素、酸素、水、それぞれ最低エネルギーが違うので、それを同じゼロという値にしたら計算があわないのです。
実際には、反応熱を表すのはエネルギーではなくエンタルピーという量を使うことが多いです。
エネルギーに似ていますが、体積変化によるエネルギーの変化を考慮したもので、一定圧力で反応させたときの反応熱はエンタルピー変化になります(符号が逆ですが)。
体積一定で反応させた場合は、反応熱はエネルギー変化になりますが、反応は一定圧力で行うことが多いので、エンタルピーを使うことが多いのです。
化学反応を扱う場合はどうするか
では化学反応を扱うときは、エネルギーの基準をどうすればいいのでしょうか?
まず、単一元素からできている物質を基準にします。
水素や酸素は単一元素からできているので基準になりますが、水は化合物なので基準にはなりません。
水素や酸素のような基準物質のエネルギーゼロ点は、使いやすいように決めます。
化合物の場合は、実際に化学反応のエネルギーを測定して、単一元素から合成するときのエネルギーから決めるのです。
単一元素物質のエネルギーゼロ点
単一元素の物質のエネルギーの基準ですが、これは使いやすいように決めればいいので、絶対零度をゼロにしても問題ありません。
ですが、そのような表し方はほとんど使いません。
絶対零度をゼロにするのは、エネルギーがマイナスの値にならないからでした。
でも化学反応を考慮すると、基準物質のエネルギーを絶対零度をゼロに決めても化合物のエネルギーはマイナスになる場合があります。
どうせマイナスの値が出てくるのなら、絶対零度にこだわる必要はありません。
使いやすいところゼロにすればいいのです。
標準状態のエネルギー
通常は、常温、常圧の標準状態での単一元素分子のエネルギーを基準にします。
標高でいえば、一番標高が低い海溝の底をゼロにするより、住み慣れた平野部をゼロにしようといった感じです。
そこから冷やせばエネルギーはマイナスになりますし、温めればエネルギーはプラスになります。
わざわざ絶対零度から温度を上げていくという、現実的ではない方法でエネルギーを決めなくてもいいので扱いやすいのです。
※常温常圧とだけ書いて具体的な温度まで書かなかったのはいくつかの流儀があるからです。
あくまでも化学反応だけの話
実際には標準状態の酸素と標準状態の水素では、エネルギーの値は違うはずです。
でも、それを同じゼロとしても化学反応だけを扱う場合には問題が出てきません。
それは、反応しても酸素原子は酸素原子のまま、水素原子は水素原子のままだからです。
元素が他の元素に変わる場合はそうはいきません。核反応です。
核反応を扱うときは、また違ったエネルギーの標準を使わなければなりません。
陽子、中性子、電子といった原子を構成する素粒子のエネルギーを基準にすることになるはずです。
素粒子自身が他の素粒子に変化する場合には、更に違う基準が必要でしょう。
エネルギーのゼロ点は、どんな変化を扱うかによって変わるものなのです。
エネルギー変化の大きさ
同じ物質の温度を(日常で使うレベルで)変えるときのエネルギー変化に比べて、化学反応のエネルギー変化はかなり大きなものです。
化学反応のエネルギー変化に比べて、核反応のエネルギー変化は更に大きくなります。
素粒子レベルの変化になると、更にエネルギー変化が大きくなります。
エネルギーの数値が1億で、変化が0.01くらいだったとしましょう。
扱いにくいですね。
100000000.002が100000000.003に変化したなんていちいちやってられません。
ですから、変化量に応じた基準を決めるというのは理にかなっているのです。
標高で考えてみる
もし、海水面が完全な球なら標高を地球の中心からの距離で決めるという方法もあります。
地中深いところまで同じ基準でプラスの値だけで表せられるという利点もあります。
でも通常の山登りで「6371200メートルから6371700メートルまで500メートル登った」なんて表すのは実用的ではないのと同じことです。
温度=分子の運動エネルギーではないの?
ここまでの話で
「絶対零度でゼロになるというのは運動エネルギーの話ではないの?」
「位置エネルギーの分だけ絶対零度でもエネルギーを持っているのではないの?」
そう思った方はいませんか。
少なくとも熱力学では、内部エネルギーを運動エネルギー、位置エネルギーという風に分けて考えることはありません。
分子のような微少なものは量子力学で考えないといけないのですが、量子力学の結果でも絶対零度で運動エネルギーはゼロではありません。
古典分子運動論
もし、分子の運動エネルギーがゼロになる理論があるとしたら、素朴な古典的分子運動論ですが、これは絶対零度に違くなると全く役に立たないことがわかっています。
熱力学、量子論という低温まで適用できる理論では、絶対零度で運動エネルギーがゼロという結論にはなりません。
低温で破綻することがわかっている理論で絶対零度で運動エネルギーがゼロになるからといって、それがまかり通るはずがありません。
特に、絶対零度まで気体のままでいる理想気体をイメージしているのならなおさらです。
内部エネルギーの本当のゼロは?
もし、内部エネルギーの本当の意味での絶対値があるとしたら、それは質量でしょう。
E=mc2
やっぱり日常のエネルギー変化に比べて桁が大きすぎて、実用的ではないですね。