空気中と水中、光の速度はどちらが速いでしょうか?
などといいながらいきなり答えを書きます。空気中です。
現在では、光は電磁波でその速度は物質の誘電率、透磁率によって決まることがわかっています。
光の屈折も速度の違いから説明されます。
過去には、どちらの方が速いのか論争があり、それを確かめる実験も行われました。
その経緯と、実験者についての話をしたいと思います。
光は波か粒子か?
かつて、光が波なのかそれとも粒子なのかという論争が長く続きました。
光を波だとしたのは ”クリスティアーン・ホイヘンス” 、粒子だとしたのが ”アイザック・ニュートン” で、1600年代末から論争が開始されました。
水中と空気中での光の速度
水中と空気中での光の速度は、波動説では空気中の方が速く、粒子説では水中の方が速いとされていました。
光が空気から水に差し込むときの「屈折」を説明するためには、そうでないと合わないのです。
光の速度の測定
そのため、波動説と粒子説のどちらが正しいのか確認するために、水中と空気中での光の速さはどちらが速いが測定しようとした人がいます。
実験が行われたのは1850年。
1800年代に入ると、光の干渉などの観察が行われ波動説の方が優勢になりましたが、その決着をつけるための実験です。
その結果、光は空気中の方が水中よりも速い、つまり「光は波」を裏付ける結果が得られました。
フランソワ・ジャン・ドミニク・アラゴ
その実験を計画したのは、”フランソワ・ジャン・ドミニク・アラゴ” というフランスの物理学者、天文学者です。
電磁気学で「アラゴの円盤」と呼ばれる有名な実験を行った人です。
アラゴは、もともと光を波だと考えていて、偏光と呼ばれる現象を研究し光は進行方向に直交する波(横波)だと結論した人です。
そして、その確認のために、水中と空気中の光の速度を比べる実験を行うことを思い立ったのです。
アラゴの実験
アラゴの実験は、図のように鏡を回転させてそこに光を当てて、反射する角度を測定するというものでした。
同時に発生した光を空気中、水中を通して鏡に当てます。
鏡に当たる時間が違えば、その間に鏡が回転するので反射角度が変わるというものです。
単純な実験でも難しい
こう書けば単純な実験のように思えますが、当時としては難しい実験です。
モーターなどありませんから、鏡を回転させるだけでも大変です。
蒸気機関を使うのですが、鏡を安定して高速回転させるためにはかなりの工夫が必要です。
光を発射するにも、光源の問題があります。
単純に見えて、非常に難しい実験です。
アラゴはすでに60歳を過ぎ、視力も衰えていました。
細かな実験装置の組み立てや実験の観察も難しい状態だったのです。
アラゴーの替わりに実験した若者
そこで、アラゴーは二人の若者に実験を手伝ってもらいました。
それが、“レオン・フーコー” と ”アルマン・フィゾー” です。
ちなみに、レオン・フーコーとは、『フーコーの振り子の実験とは? 地球の自転を証明した非公認科学者』という記事で説明した「フーコーの振り子」で有名なフーコーです。
その記事の中にも書きましたが、フーコーが振り子の公開実験のためにアラゴを頼ったのは、この実験のつながりのおかげです。
フーコー、フィゾーのふたりとも科学の教育を受けていた訳ではありませんでしたが、技術に興味を持っていて、実験が得意で、協力して短時間で露光できる写真技術を発明したりしていました。
フーコーとフィゾーの役割
この実験は、アラゴが計画したもので、その手伝いをしたのがフーコーとフィゾーという形です。
しかし、難しい実験を成功に導いたのは、フーコーの力が大きかったようです。
そのこともあり、この実験を成功させたのはフーコーだとされることもあります。
これは、後にフーコーが有名になったからであって、ただの実験助手のままで終わっていたら、この実験にフーコーの名前が出ることはなかったでしょう(特に当時のフランスでは)。
実験を計画した人と、それを成功に導いた人、どちらの成果なのか、判断は難しいものです。
フーコーとフィゾー
この後、フーコーとフィゾーは、別々の道を歩んでいきます。
しかし「光の速度の測定」は、彼らにとって大事なテーマだったことは変わりませんでした。
光の速度の測定といえば「フィゾーの実験」が必ず出てきます。
フーコーも更に精密な光速度の測定実験を行っています。
水中と空気中での光の速度に関して、ふたりは競うように次々に成果を上げていきました。
現在では「光の速度」と言えば、フィゾーとフーコーの名前が上がり、アラゴの名前はほとんど出てきません。
アラゴの実験では光の速度そのものは測定できず、水中と空気中どちらが速いのかだけしかわからなかったことも一因です。
でも、アラゴは、フーコーとフィゾーという二人の天才に「光の速度」という興味を植え付けた最大の功労者なのかもしれません。