フーコーの振り子の実験を知っていますか?
振り子を使って地球が自転していることを証明した有名な実験です。
この実験を行ったフーコーは、科学に関しては素人として扱われていましたが、それまで誰も思いつかなかった着想で地球の自転をはっきりと示したのです。
当時の背景などを踏まえて、なぜフーコーが大偉業を達成できたのか見ていきたいと思います。
フーコーの振り子の実験の概要
まずは、フーコーの振り子の実験とはどういうものか簡単に説明しておきましょう。
天井からワイヤーで真鍮の錘を垂らして振り子を作ります。
このときワイヤーは、自由に回転できるように天井につないでおきます。
そして、振り子を揺らします。
すると振り子が揺れる角度がゆっくりと変化していく、これがフーコーの振り子の実験です。
上の図は振り子を上からみたものですが、最初は実線の方向に揺れていた振り子が少しずつ向きを変えていく、これがフーコーの振り子の実験です。
めちゃくちゃ単純な実験です。
振り子の方向が変わる原理
なぜ振り子の方向が回転するのか、簡単なイメージ図で説明してみましょう。
地球を円盤に例えてみます。
中心に向かう方向が北です。
地球が回転して、それにつれて振り子の位置も動きます。
でも、振り子が振れる方向(赤い矢印)は、変わりません。
しかし円盤上にいる人から(ずっと北を向いているなど)みると、振り子が振れる方向が回っているように見えるのです。
後からもう少し詳しい原理を説明しますので、ここでは簡単な説明だけにしておきます。
フーコーの振り子の時代背景
”レオン・フーコー” がこの振り子の実験をしたのは、1851年のことです。
コペルニクスが地動説を唱えてから、350年も後のことです。
少し不思議な気はしませんか?
「こんな単純な実験を、350年間誰もやらなかったのはなぜだろう?」
地動説を信じ、自転の証拠を探し続け、振り子の同時性を発見した ”ガリレオ・ガリレイ” が200年以上前に行っていても不思議がないような実験です。
自転の証拠は求められていた
地球が自転していることは当たり前で、その証拠を見つけることに誰も興味を示さなかったという訳ではありません。
ブラッドリーの光行差の観測など、地球が公転している間接的な証拠は天文学的に得られていました。
しかし、自転していることを決定つけるような実験はなく、多くの科学者や数学者がチャレンジしていたのです。
落下の実験
1800年代に入り、物体が落下するときの自転の影響を理論的に計算し、それを確かめる実験も行われました。
しかし、実験値と理論値は合わなかったのです。
このときの理論計算は、史上最高の数学者とも呼ばれる ”カール・フリードリッヒ・ガウス” 、ラプラスの悪魔でも知られる ”ピエール=シモン・ド・ラプラス” ら、数学界の巨人によるものでした。
≫≫ラプラスの悪魔とは 未来は決定しているのか?意思によって変わるのか?
この実験でもフーコーの振り子に似た現象(現在ではコリオリの力として知られている)だったのですが、彼らはそれに気づくことができなかったのです。
≫≫コリオリの力とは何か? 北半球で台風が反時計回りになる理由をわかりやすく解説
振り子の理論
地球の自転が振り子に与える影響も理論的に考察されていました。
”オーギュスタン=ルイ・コーシー” や”シメオン・ドニ・ポアソン” が、振り子の振動面は変化しないという結論を出していたのです。
フーコーは、そうそうたる数学者たちが気づかなかったことに気づいたのです。
フーコーとはどんな人物か?
フーコーは1819年にフランスのパリで産まれました。
幼いころから神童と呼ばれ……といったタイプではありません。
勉強は得意ではなく(好きではなかった?)、家庭教師に長時間教わることで何とか高校を卒業できたと言われています。
ただ、もの作りは得意で、色々なおもちゃや機械を作っていました。
手先が器用で、仕組みの理解も速く、当時出回り始めた蒸気機関や電信機などを自分で作るほどでした。
その後、手先の器用さを活かして医者の道に進みますが、血を見て卒倒するような性格だったので結局は断念してしまいます。
フーコーの物理への興味
フーコーは医学生だった頃、顕微鏡学に興味を持ち、顕微鏡の光源用にそれまでのガス灯ではなく安定した光を放つアーク灯を開発します。
そのアーク灯を使った新しい照明技術を編み出したり、写真に興味を持ち新しい写真技術を開発したり、独創的な仕事をしていきました。
これが科学への興味につながったようです。
フランスの科学アカデミー
フランスでは、科学者はアカデミーに所属して研究を行うのが恒例でした。
しかし、フーコーは、科学の前提になる数学の教育を受けておらず、科学の博士号も所有していなかったため、アカデミーに所属することはできませんでした。
フーコーは、新聞社の科学担当編集者として、アカデミーの会議の内容を一般に紹介する仕事に就きます。
科学者としては認められませんが、アカデミーには出席できるようになったのです。
振り子の実験へ
そして、フーコーは振り子の実験を思いつきます。
単純な実験ですが、簡単なことではありません。
振り子の向きが変わるときに摩擦抵抗が無視できるようにしないといけませんし、最初に振り子を押すときに横方向の力が加わっても駄目です。
かなり精度が必要な実験ですが、フーコーは手先の器用さと、道具を作り上げる知識とテクニックを持ち合わせていました。
そして、自宅の地下室で実験を行い、満足する結果を得たのです。
実験結果の発表
地球の自転を検証するという大きな成果でしたが、フーコーにはその実験結果を発表する術がありませんでした。
アカデミーの会員ではなかったからです。
そこでフーコーが頼ったのが ”フランソワ・アラゴー” でした。
パリ天文台長で、アカデミーの終身名誉書記を務めるアカデミーの中でも影響力が高い人物です。
以前、アラゴーが光の速さを測定したとき、フーコーが手伝ったという間柄です(測定装置の工夫は、ほぼフーコーによるもの)。
そして、パリ天文台で振り子の実験を公開することになったのです。
≫≫光の速度は空気中と水中どちらが速い? 最初に実験したのは誰?
フーコーの振り子の公開実験
フーコーは、公開実験の招待状を自分が知る限りのアカデミーの科学者に贈りました。
そこにはこう書かれていたそうです。
「地球が自転するのを見に来られたし」
そして、多くの科学者の前でフーコーの振り子の実験が行われました。
結果は大成功でした。
フランスアカデミーの科学者たちは「地球が自転するのを見た」のです。
フーコーの振り子の数式
フーコーの振り子での面の回転は、「フーコーの正弦則」と呼ばれる数式で表されます。
T=24/sinθ
Tは、振り子の振動面が一周するのにかかる時間、θは実験する場所の緯度です。
北極点と南極点では、緯度が90°なのでsinθが1、Tが24時間になります。
ちょうど24時間で一周するということです。
赤道では、緯度が0°でsinθが0、Tは無限大、つまり全く回転しないという結果になります。
極点では24時間で一回転し、赤道に近くなるほど一周するのにかかる時間が長くなるという式です。
これが、フーコーの振り子の原理から導かれる式なのです。
フーコーは正弦則を導いていた
パリは北緯約49度くらいなので、正弦則で計算すると振り子が一周するのに約32時間かかる計算になります。
フーコーは公開実験の時に正弦則の式を提示して、実験結果が計算通りだということを示しました。
フーコーは実験だけでなく、理論計算をして数式まで導いていたのです。
実は振り子の振動面が変化しないという結果を導いたコーシーとポアソンは、フランスアカデミーに所属していた数学者です。
「数学の教育を受けていないためアカデミーに所属できなかったフーコー」が、
「アカデミーの数学者たちができなかった計算」を行ったのです。
東京ディズニーシーの「フォートレス・エクスプロレーション」アトラクション内の「ペンデュラムルーム」にフーコーの振り子があります。
ディズニーシーの緯度は北緯35.6°くらいなので、フーコーの正弦則で計算すると、約78.5時間ですから3日以上かけて一周することになります。
パリよりも東京(千葉)の方が赤道に近い分、一周するのに長い時間がかかるのです。
フーコーの正弦則の証明
ここで、フーコーの正弦則の証明を書くことは止めておきます。
何しろ、大数学者たちが導くことができなかった式なので、簡単に説明できません。
フーコーの振り子の実験は有名ですが、その仕組みは「コリオリ力という見かけの力によるもの」程度の説明で終わっていることがほとんどです。
そのコリオリの力の説明も、最初に示したような二次元の円盤での例で説明するくらいに留めてあることが多いようです。
そうやって、何となくイメージが掴むことはできても、それを詳細に説明するのは大変だからです。
ちなみに、正弦則を最初に証明したのは、リューヴィルで、オイラーの定理、ラグランジュの研究、ポアンソーの定理などを用いたものだったそうです(しかも厳密性に欠けていた)。
※有名な数学者ばかりです。
地球の自転で生まれる見かけの力(遠心力などと同じ)で、進行方向と直交して回転させる方向に働く力。
コリオリ力については、別途記事にしたいのでここでの説明は省略します。あらためて記事を書きました。
≫≫コリオリの力とは何か? 北半球で台風が反時計回りになる訳
フーコーはなぜ正弦則を導けたのか
フーコー自身は、正弦則を提示しましたが証明はしていません。
フーコーは、地球を模した木製の球体に色々な線や記号や数式を書き込んで、眺めていたそうです。
その幾何学的なイメージから思いついたのでしょう(数学的に厳密に導いた訳ではなかったかもしれませんが)。
もしかしたら、数式を操ることができなかったフーコーだからこそ、気が付いたのかもしれません。
正弦則のイメージ
正弦則のイメージをつかむため、円盤で考えた図を立体的にしてみましょう。
図のように円盤の一部を切り取ります。
そして切り取った部分を合わせると円錐形になります。
このとき切り取った分だけ振り子の向きの変化が小さくなるのです。
切り取る部分を多くすると、その分振り子も向きの変化が小さくなり、円錐の角度が鋭くなっていきます。
これを地球に見立ててみます。
角度で考えると、赤道に近く緯度が小さいほど、円錐の角度が鋭くなっていくことに相当します。
円錐が鋭いほど、振り子の向きの変化が小さい、つまり一回転するのにかかる時間が長いということです。
こう考えると、フーコーが地球の模型を立体的に眺めることで正弦則に辿り着いたこともうなづけます。
フーコーのその後
振り子の実験で、フーコーが一気に認められたという訳ではありません。
フランスでは、アカデミー会員以外は科学者として認められない閉鎖的なところがありました。
アカデミー会員以外の科学者でもない人間が大きな業績を上げると面目が潰れます。
また、フーコーの実験は、結果的にコーシーやポアソンの顔に泥を塗ってしまうことになっていしまいました。
アカデミーは、フーコーを排除する方向に動きはじまます。
ナポレオン三世とパンテオンでの実験
フーコーが振り子の実験を行った1851年、フランスで大きな出来事がありました。
あの “ナポレオン・ボナパルト” の甥にあたる ”ナポレオン三世” が、クーデターで政権を握ったのです。
ナポレオン三世は、科学への造詣が深いことで知られています。
ですから、アカデミーとも接触がありました。
そして、フーコーの実験のことを知ったのです。
ナポレオン三世は、フーコーにパリのパンテオンで一般に向けた公開実験をするよう要請しました。
そして、一般民衆の前でフーコーの大偉業が披露されたのです。
フーコーが行った振り子の実験は、
- 自宅の地下室で行った実験
- パリ天文台で行ったアカデミー科学者への公開実験
- パンテオンでの一般に向けた公開実験
と3つありますが、単に「フーコーの振り子の実験」と言うときは、このパンテオンでの公開実験を差すことが多いようです。
これによって、フーコーの振り子の実験が世界中に知られるようになったからです。
もし、ナポレオン三世がいなければ、フーコーの業績はアカデミー内でもみ消されていたかもしれません。
他国での評価
フーコーの振り子の実験は世界中に知れ渡ります。
多くの国でフーコーの成果が称賛され、振り子の実験が行われました。
フーコーが実験を行ったのはパリだけですが、緯度が違う世界中の色々な場所で実験が行われて、正弦則が正しいことが確認されていきます。
フーコーの振り子以外の業績
フーコーは振り子の実験だけでなく、空気中と水中での光の速さを精密に実験して求めるという大きな成果も残しています。
この光の速度の成果で、博士号を取得しました。
それ例外にも、ジャイロスコープの発明者としても知られていますし、近代的な天体望遠鏡も作り上げています。
振り子の実験だけではなく、多くの功績を残した人物なのです。
フーコーの栄誉
フーコーはナポレオン三世から勲位を授与され、世界中の科学者が所属する緯度委員会のメンバーにもなりました。
しかし、アカデミーの会員にはなれず、正式な科学者としても認められない立場のままでした。
イギリスでは、フーコーより30歳年上のファラデーが基礎教育を受けていないにもかかわらず評価されていましたが、フランスではそうはいかなかったようです。
実際、フーコーもイギリスでは評価されて、ロンドン王立協会の外国人会員にもなっています。
ドイツでも同様の地位を貰っています。
海外では、尊敬される科学者として扱われているのに、祖国では科学者の一員にもなれなかったのです。
結局フーコーがアカデミー会員になれたのは、1865年、亡くなる3年前のことでした。
フーコーは、コーシー、ポアソンというフランスアカデミーの英雄の研究を覆す実験を行いました。
そのフーコーがフランスという国で産まれたのも皮肉な縁のように思えます。