「水素結合」
高校の化学の授業でも出てくる不思議なものです。
名前は結合でも結合ではないとか言われて戸惑った人も多いのではないでしょうか?
わかりにくいくせに、身の回りの色々なところに顔を出すので授業で触れないわけにはいかない厄介者です。
一番身近な液体、水の性質は水素結合なしでは説明できません。
DNAの二重らせん構造、タンパク質の形状など、生体にも大きくかかわっています。
このブログで紹介したセルロースやでんぷんの構造にも水素結合がありましたし、身の回りの多くのものの性質に水素結合が関与しているのです。
ありふれているけれども、わかりにくい水素結合の世界を少しのぞいてみましょう。
水素結合とはどんなものか?
水素結合とはどんなものか、まずは簡単に説明してみます。
よくある説明というやつです。
電気陰性度とは何か
化学結合には、共有結合、イオン結合、金属結合と3種類ありますが、水素結合が関与するのは共有結合です。
共有結合は、隣りあった原子同士が電子をお互いに共有することで強く結合したものです。
電子を共有すると言っても、フィフティーフィフティーで共有している訳ではありません。
電子を強く欲しがる原子とそうでもない原子がいます。
共有された電子は、電子を欲しがる原子の方に寄ります。
この電子を欲しがる程度は「電気陰性度」と呼ばれるものです。
電気陰性度は周期表の右上の原子ほど強くなる傾向があります(一番左の列は電子に見向きもしないので無視して)。
特にに電気陰性度が高い右上の3つの元素、窒素、酸素、フッ素(赤枠)が水素結合の重要な助演になります。
主演は、もちろん水素です。
極性とは何か
違う種類のふたつの原子が結合している場合を考えましょう。
電気陰性度に違いがあれば、電子は電気陰性度の大きい方に引っ張られます。
電子はマイナスの電荷を持っているので、引っ張った方は少しマイナス、引っ張られた方は少しプラスになります。
全体としては電荷はゼロですが、電荷に偏りが出きるのです。
これを極性と呼びます。
電気陰性度が大きい原子と水素の結合
窒素、酸素、フッ素などの電気陰性度が高い原子と水素が結合すると、水素は電子を引張られてプラスになり、窒素や酸素はマイナスに大きく帯電します。
このように極性を持った分子同士が近づくと、プラスの部分とマイナスの部分が引き合います。
この引き合いを水素結合と呼ぶのです。
水素結合は分子間に働く分子間力で、化学結合ではないのです。
と、ここまでがよくある説明です。
高校の化学ならこれで正解です。
水素結合の不思議
でも疑問が残ります。
結合ではないものを結合と呼ぶのはなぜでしょうか?
異種の原子が結合すると、多かれ少なかれ電気陰性度の違いがあるので電荷の偏りができます。
そうすると、近づいたときに極性による引力が働きます。
それの特に強いものが水素結合だと考えていいのでしょうか?
よくある現象の中でも特に強いものだけを特別視して「結合」と名付けたのでしょうか?
水素結合という言葉を最初に使ったのはアメリカの化学者 ”ライナス・ポーリング” だと言われています。
ポーリングは、化学結合の理論を打ち立てた人で、電気陰性度や極性という考え方もボーリングが生み出したものです。
そのポーリングが「結合」という言葉を使ったのはただの気まぐれでしょうか。
水素結合はやっぱり結合?
水素結合には、結合と呼ばれるそれなりの理由があります。
結合のようで結合でないような不思議なものとして扱われてきた歴史があるのです。
それだけではなく、謎の多い現象でいまでも研究の対象になっているほどです。
水素結合の定義
水素結合はよくわからないものだと言っていても話は進みません。
とりあえず、現在では水素結合はどのように定義されているのでしょうか?
IUPAC(国際純正・応用化学連合:International Union of Pure and Applied Chemistry)という化学の標準を決める機関があります。
化学物質の名称なども決める化学の総本山です。
そのIUPACが2011年に提案した水素結合の定義は以下のようなものです。
水素結合とは、分子中の水素原子、またはXがHよりも電気陰性度が高い分子断片X–H中の水素原子と、同じまたは異なる分子中の原子または原子のグループとの間の引力的相互作用で、結合が形成されている証拠があるもののことである。
「結合が形成されている証拠があるもののこと」を水素結合と呼ぶと書いてあります。
水素結合はやっぱり結合だったのです。
最初の方で、水素結合が関与する原子として、窒素、酸素、フッ素を挙げました。水素結合を起こすのは、この3つの原子だけだと習ったかもしれません。
でも、IUPACの定義に、窒素、酸素、フッ素という名前は出てきません。
実際には、それ以外の水素結合も見つかっていますし、今後も新しいタイプの水素結合が見つかるかもしれないからです。
でも、ほとんどの場合は、窒素、酸素、フッ素だと考えても大丈夫です。
水素結合の結合らしさ
水素結合が結合かどうかという議論をするには「結合とは何か」を定義しなければなりません。
かなり踏み込んだ議論になりますし、統一した見解がある訳ではありません。
そこで、水素結合の結合らしい特徴を3つ挙げてみます。
方向が決まっている
共有結合では、結合の方向が決まっています。
水は折れ曲がっていますが、酸素と水素が結合する方向が決まっているから、このような形を持っています。
一方で、プラスとマイナスの電荷が引き合う場合には、特に決まった方向に力が働くわけではありません。
実は水素結合は、結合の方向が決まっています。
その角度は共有結合の場合と同じです。
結合距離がある
水素結合が働く原子同士は、一定の距離を保ちます。
プラスとマイナスが引き合う力と考えると、距離が決まっているのは不思議な気がします。
化学結合の結合距離のようなものです。
水素結合の数が決まっている
単にプラスとマイナスが引き合うのなら、マイナスの部分に複数のプラスに力が引き寄せられることも考えられます。
でも水素結合は違います。
結合する本数が決まっているのです。
化学結合の本数が決まっているのと同様です。
水素結合の極限を考える
ここで、ちょっと見方をかえて水素結合をどんどん強くして言ったらどうなるか考えてみます。
水素結合は、水素が電子を引張られてプラスの電荷を持つことで起こる現象です。
では、電子をどんどん引っ張ってどんどんプラスの電荷を強くしていったらどうなるかということです。
電子をはぎ取られた水素
水素の原子核は陽子そのもので、周囲には電子が一つしかありません。
その電子がどんどん引き抜かれていくと、最後にはむき出しの陽子になってしまいます。
水素イオンとも呼びます。
このむき出しの陽子が水素結合を起こす相手に近づいた場合を考えてみましょう。
水素イオンの反応
アンモニアは窒素に水素が3つ結合したNH3という構造をしています。
この窒素に水素イオンが近づいていくと結合して、NH4+というアンモニウムイオンと呼ばれるものになります。
この時の結合は水素結合ではなく、完全な共有結合です。
水素結合を強くしていくと、最終的に共有結合に落ち着くのです。
同様に、水(H2O)に水素イオンが結合するとH3O+(ヒドロニウムイオン)になりますし、フッ化水素(HF)はH2F+(フルオロニウムイオン)になります。
全て共有結合です。
こうなってしまうと、最初から結合していた水素と後からイオンとしてやってきた水素は全く同等で区別がつきません。
この共有結合の弱い版が水素結合だと考えることもできます。
結合っぽい性質が水素結合の特徴
水素結合は、共有結合と同じように一定の角度で一定の距離を持っています。
これがポイントです。
DNAの二重らせん構造や複製のメカニズムは、このことを考慮しないと理解できません。
お互いにキチンと水素結合できる角度と距離になるように、複製されるのです。
タンパク質の形状も水素結合したときの配置がはっきりしているから決まるのです。
このように、水素結合は「結合」に似た性質を持っているからこそ「水素結合」と呼ばれているのです。
でも本当の意味での結合と言っていいのかというのは難しい問題でした。
最近の分析技術の進歩によって、ようやく結合と呼べるものだということがわかっきたのです。
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